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震災復興と民俗学

東北地理学会東日本大震災報告集
2011.08.31
岩鼻 通明(山形大学農学部教授)
Email:iwahana(a)tds1.tr.yamagata-u.ac.jp

はじめに

   この三月の未曾有の大震災で、筆者自身も当日は居合わせた場のテレビで大津波による被災をリアルタイムで目の当たりにし、当夜は東京の大都会をさまよう帰宅難民を実体験した。
   また、多くの情報が飛び交う中で印象に残ったのは「金のある者は金を出し、力のある者は力を出し、智恵のある者は智恵を出そう」という言葉であった。金も力もない我々研究者にできることは、震災復興についてのアイデアを少しでも多く発信して、いささかなりとも復興に寄与すべきではないのだろうか。その思いで、河北新報に投稿し(四月八日付け「声の交差点」欄に掲載)、それへの加筆も含めて、四月の筆者のホームページの日記に数日間、復興に関するコメントを記した。本稿は、その記述を整理しながら、さらに加筆したものである。

一 原風景の回復と復興

   政府による震災復興計画によれば、沿岸部では高台の丘陵地を削って街づくりを行い、漁港まで通うことにするという。宮城県が公表した復興基本方針でも、同じく海岸から離れた山を切り崩し、住宅地を整備するという。
   しかし、今回の震災では市街地を拡大して自動車交通に依存してきた旧来の都市計画がガソリン不足などで破たんをきたしたのだ。したがって、震災復興には、ぜひ職住近接のコンパクトな街づくりを期待したい。港湾施設と中心市街地、そして居住空間が近接したコンパクトな街づくりは、平坦な空間に乏しい三陸地方の沿岸部には最適であるといえよう。
   わざわざ、時間と経費をかけて、高台にニュータウンを建設する必要はない上に、丘陵地のニュータウンにおいて谷を埋め立てた場所が地震災害に脆弱であることは、過去の宮城県沖地震や今回の震災でも実証されており、新たな被災の不安も大きいといえよう。
   そもそも、沿岸部での基幹産業である水産業の復興には、港湾や魚市場の整備が不可欠であり、住居が遠く離れた高台では職住分離となって、行き来に不便なこと極まりない。
   そこで、沿岸部の安全を守るために、二重の防波堤をつくり、その上を道路および鉄道路線に活用し、その背後に高層化した公共施設や商業施設を含む複合ビルを建設し、住宅は複合ビルの中層に配置すれば、コンパクトかつ災害に強い街づくりが十分に可能となる。
   また、複合ビルの低層階は、なるべくオープンスペースとして、最上階には、韓国の事例を参考にして、ホールや映画館を設置すれば、災害時の避難場所としても活用が可能となろう。今回の震災では、シネコンの天井が構造上の弱点を有していることが明らかとなったが、そこを補強すれば、避難場所として有効利用することができる。
   病院や高齢者向けの施設なども、複合ビルの中層階に配置すれば、災害時の弱者対応も容易となる。エコ社会の実現のためにも、いまこそ大胆な発想の転換が必要な時期ではないだろうか。   ところで、四月十三日のNHK二十一時のニュースで、政府の復興会議のメンバーだという藻谷浩介氏が、持論のコンパクトなまちづくりを復興プランにあてはめる旨の意見を述べていた。しかしながら、このプランは高台に住宅地を造成するというもので、職住分離のプランであり、これではコンパクトなまちづくりとは言いがたい。
   先に述べたように、職住近接で、住宅地と商業地および公共用地と港湾施設が一体となったコンパクトなまちづくりが沿岸部では必要なのであり、強引に政府のプランを進めることには、大いに問題が残るといえよう。
   政府の復興プランでは、相変わらず高台でのまちづくりにこだわっているようだが、宮古・釜石・大船渡・気仙沼レベルの中心都市においては、高台での大規模な開発には時間がかかりすぎるし、沿岸の港湾部との交通アクセスも課題となり、被災時の道路混雑は避けられない。よって、地権者の権利を保障する意味からも、早急に都市計画を行い、被災した現地での復興に取り組むべきである。
   また、政府では原発周辺に内陸エコタウンを造成するというが、こちらも適地がどこになるのかなどの具体的計画は全く示されていない。目下の制御できていない原発の状況では、新都市開発はメドがたたないといえよう。
   それよりも、原発周辺の沿岸部には風力発電、平坦部には太陽光発電を導入すれば、原発に代わる電力を得ることが可能である。これらは設置にも管理にも、あまり時間も人力も必要としないはずであり、原発の代替機能を十分に果たしうると考えられる。
   また、周辺の農地は、人や家畜の口には入らない、とうもろこしなどのバイオエタノールの原料となる作物を栽培することが可能である。この春の作付けをあきらめるといった報道もなされているが、バイオ燃料に活用するのであれば、エネルギー源となるので、電力の不足を補うことにもなり、一石二鳥となろう。
   以上のように、土地利用を工夫すれば、すみやかな震災復興が可能であり、できるだけ省力化かつ省エネ化、省コスト化を配慮した復興プランの提示が重要となろう。
   さらに、政府は東北の被災した農地と漁港を集約して復興させる計画という。農地と宅地が混在しているのを集約して、農地を大規模化するというが、仙台湾岸沿いの低地などはともかく、三陸沿岸では、農地を集約することは不可能であり、すべての被災地域に適用することは不可能といえよう。
   そして、宅地は微高地に、農地とりわけ水田は低湿地にといった土地利用の差異があるために、それを無視して集約することは好ましくない。それよりも、日本各地に休耕地が増加する一途の今、これらの休耕地を復活させて有効利用するほうが先決ではないのか。
   一方、漁港の集約も、ある程度はやむを得ないのかもしれないが、基本は被災地域における現地復興であるはずだ。故郷に戻りたいという被災地住民の声を無視してはならないのであり、被災地の原風景を回復することが先決であろう。
   なによりも、このような大規模再開発には時間と経費を必要とするのだが、阪神大震災の復興の象徴であったはずの神戸空港が無用の長物化している現状をみると、増税を回避したエコでコンパクトな復興プランが不可欠といえよう。

二 文化財救出と民俗学

   この度の震災で、古文書などの文化財もまた大きな被害を受けているが、それらを救おうという試みが活発に行われつつある。
   詳しくは、たとえばNPO法人宮城歴史資料保全ネットワークなどのサイトを参照いただきたいが、山形文化遺産防災ネットワークもボランティア体制を整備しながら被災地の文化財を守る試みに取り組みつつある。
   実は震災に乗じて古物商などが被災地に買い出しに来ることがあり、阪神大震災でも実際にその動きが存在し、今回もいち早く乗り出しているという。専門家でなければ、ガレキと被災した文化財との区別は困難な面があり、だからこそ、専門家の手による資料救出が必要となる。
   また、震災復興と文化財保護は両輪であり、地域の伝統文化を守るには、基本的に現地復興が当然となろう。とりわけ、民俗芸能のような伝統文化にとって、その基礎単位は小学校の学区であり、復興に際して、学区が大幅に変更ないし再編されると、伝統文化の衰退や消滅に直結しかねない。伝統文化の基盤となる共同体の維持が不可欠であるといえよう。
   増税を前提としたような途方もない規模の復興プランは無意味であり、しかも地域の伝統文化を損なう結果になりかねない。それよりも、地道な再建が必要なのであり、文化財を救うことは、その一里塚といえよう。

おわりに

   震災復興に際しては、諸学の学際的連携と協力が不可欠といえよう。民俗学にとっては、その実践は大きな課題となろう。民具などの有形民俗文化財の救出と保護は比較的やさしいといえようが、民俗芸能のような無形民俗文化財を、どのように救出し、消滅を防げばよいのだろうか。民俗学に関わる我々は智恵を出し合って、震災から伝統的な民俗文化を救い出すべく努力と工夫を重ねなければならない。
   なお、最後に、十二月三日(土)に、日本民俗学会が東北地方の民俗学会と連携して、東北大学片平キャンパスにて、「震災復興と民俗学」をテーマとした談話会を開催する計画が進められていることをお伝えして、結びに代えたい。

付記

この原稿は「村山民俗」第25号、(2011年6月発行、村山民俗学会刊)にて掲載されたものである。

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